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東京高等裁判所 平成3年(行ケ)16号 判決 1992年10月01日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

この判決に対する上告のための附加期間を九〇日と定める。

理由

【事 実】

第一  当事者双方の求めた裁判

1  原告

(1) 特許庁が昭和五九年審判第一八一七四号事件について平成二年八月九日にした審決を取り消す。

(2) 訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文の一、二項同旨

第二  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は昭和五五年五月二六日、名称を「磁気特性を改善した非晶質金属合金及びその製法」とする発明(以下「本願発明」という。)について、一九七九年五月二五日にしたアメリカ合衆国への特許出願に基づく優先権を主張して特許出願(昭和五五年特許願第七〇〇〇一号)をしたところ、昭和五九年五月一七日拒絶査定を受けたので、同年一〇月一日査定不服の審判を請求し、昭和五九年審判第一八一七四号事件として審理された。本願発明は、昭和六三年六月一七日出願公告(昭和六三年特許出願公告第三〇三九三号公報)されたが、新日本製鉄株式会社及び日立金属株式会社から特許異議の申立てがされた結果、平成二年八月九日新日本製鉄株式会社からの特許異議申立ては理由があるとする決定とともに上記審判請求に対して、「本件審判請求は、成り立たない。」との審決がされ、その謄本は同年九月二五日原告代理人に送達された。なお、原告のために出訴期間として九〇日が附加された。

2  本願発明の特許請求の範囲

<1>  式FeaBbSicCdを有し、式中、a、b、cおよびdは、それぞれ原子パーセントで八〇・〇~八二・〇、一二・五~一四・五、二・五~五・〇および一・五~二・五であつて、a、b、cおよびdの合計は一〇〇である組成から本質的に成り、焼鈍された少なくとも九〇%が非晶質である改善された磁気特性を有し、特にゼロA/mにおける残留磁化が少なくとも一・二Tである金属合金(以下「本願第一発明」という。)

<2>  前記合金が少なくとも九七%非晶質である、前記<1>記載の非晶質金属合金

<3>  前記合金が一〇〇%非晶質である、前記<1>記載の非晶質金属合金

<4>  a、b、cおよびdが、それぞれ八一、一三・五、三・五及び二である、前記<1>記載の非晶質金属合金

<5>  式FeaBbSicCdを有し、式中、a、b、cおよびdは、それぞれ原子パーセントで八〇・〇~八二・〇、一二・五~一四・五、二・五~五・〇および一・五~二・五の範囲にあり、a、b、cおよびdの合計が一〇〇である組成から本質的になり少なくとも九〇%が非晶質である金属合金の、特に、ゼロA/mにおける残留磁化を少なくとも一・二T以上に改善することを含む磁気特性の改善方法であつて、同方法は該合金を焼鈍することを包含し同焼鈍工程が、

応力を解放するには十分な温度であるが結晶化を開始するに要する温度よりは低い温度に前記合金を加熱すること;

〇・五C/〕~七五C/〕の速度で前記合金を冷却すること;および

上記の加熱及び冷却の間、前記合金に磁場をかけること;

の各工程から成る方法

<6>  前記合金を加熱する温度範囲が三四〇~三八五Cである、前記<5>記載の方法

<7>  前記の焼鈍工程が、前記合金を三四五~三八〇Cの温度に加熱すること;

一C/〕~一六C/〕の速度で前記合金を冷却すること;および

上記の加熱及び冷却の期間中前記合金に磁場をかけること;から成る、前記<5>記載の方法

<8>  式FeaBbSicCdを有し、式中、a、b、cおよびdは、それぞれ原子パーセントで八〇・〇~八二・〇、一二・五~一四・五、二・五~五・〇および一・五~二・五であり、a、b、cおよびdの合計は一〇〇である組成から本質的に成り、焼鈍された少なくとも九〇%が非晶質である改善された磁気特性を有し、特に、ゼロA/mにおける残留磁化が少なくとも一・二Tである金属合金から構成した、電磁デバイス用コア

3  審決の理由の要点

本願発明の特許請求の範囲は、前項記載のとおりである。

これに対し、特許異議申立人新日本製鉄株式会社は、本願発明は、本件出願前の出願に係る昭和五四年特許願第六一一四〇号の願書に最初に添付された明細書及び図面(昭和五五年特許出願公開第一五二一五〇号公報)(以下「本件引用例」という。)に記載された発明と同一であるから、特許法二九条の二により特許を受けることができないものであると主張している。

本件引用例には、次の事項が記載されている。

イ  原子%で、硼素一一~一七%のうち五%以下と、炭素三~八%のうち八%未満とのいずれか少なくとも一方について置換した珪素を硼素及び炭素と共にそれらの合計一八~二一%で含有し、残部実質的に鉄よりなる透磁率が高く、鉄損の小さい高透磁率非晶質鉄合金

上記の非晶質合金は、磁界あるいは応力のいずれか少なくとも一つの作用下で焼なましされてなること

ロ  本発明は、主として珪素綱板に代わる磁心材料として、透磁率が高く、鉄損の小さい高磁束密度非晶質鉄合金を提供することを目的とするものである。

ハ  本発明非晶質合金(磁場中処理後)および磁気特性(第一表中の]6合金)

Fe81B13C2Si4の合金の最大磁束密度は、一六・一KG、角型比(Br/B100)は〇・八八である。

ニ  本発明非晶質合金中のFe--B--C--Si系合金において、Siの添加《Fe81B13(C6--XSix)》は、磁束密度をほとんど変化させずに、磁気特性を改善すること(第七図及びその説明の項)

本願第一発明を本件引用例の記載と比較する。

<1> 合金組成について

両者は、Fe--B--Si--C系の非晶質合金であつて、各構成成分の組成範囲についても、本件引用例の第一表中の]6合金は、本願第一発明において限定している原子パーセントa、b、c、dにより構成されている非晶質合金に包含されるものであり、特に本願発明の実施例としてあげられている第一表中の例一合金であるFe81B13Si4C2は、引用例中の]6合金と同一組成であり、まつたく異なるところがない。

<2> 磁気特性について

本件引用例明細書中の]6合金は、その組成とともに磁気特性が表示されており、最大磁束密度並びに角型比(Br/B100)についても、それぞれ一六・一KG、〇・八八と示されているから、角型比=残留磁束密度(Br)/最大磁束密度(Bs)の関係から、残留磁束密度、つまり残留磁化は一四・二KG(一・四二テスラ)と算出され、この値は本願第一発明において、「特にゼロA/mにおける残留磁化が少なくとも一・二Tである」という、「改善された磁気特性」に包含されるものであり、磁気特性の面からも両者に差異を見出すことができない。

なお、本件引用例に記載の焼鈍された非晶質合金が「少なくとも九〇%が非晶質である」ことについての明示はないが、合金の性質、用途から、焼鈍が非晶質状態が安定に維持されるように結晶化温度以下で行われることは自明のことであるから、組織的にも両者間には実質的な差異は存在しないものと認める。

よつて、本願第1発明は本件引用例に記載された発明と同一であると認められ、しかも、本願発明の発明者が引用例に記載された発明の発明者と同一であるとも、また本件出願時に、その出願人が上記他の出願の出願人と同一であるとも認められないので、本願第一発明は、特許法二九条の二の一項の規定により特許を受けることができない。

したがつて、本願は、特許請求の範囲<2>ないし<8>に記載された他の発明について検討するまでもなく、拒絶すべきものである。

4  審決を取り消すべき事由

本件引用例に審決認定の技術内容が記載されていることは認めるが、原審の審判手続には、次のとおり違法があり、その違法は、審決の結論に影響を及ぼすものであるから、審決は取り消されるべきである。

(1) 取消事由一

<1>本願発明に係る出願手続きの経緯の詳細

原告が本願発明の出願をしたところ、審査官は、昭和五八年八月二五日、昭和五一年特許出願公開第七七八九九号公報(以下「拒絶理由引用例」という。)を引用例として拒絶理由を通知し、原告が意見書を提出したにもかかわらず、昭和五九年五月一七日拒絶理由引用例を引用して拒絶査定をした。そこで、原告が審判請求をしたところ、昭和六三年二月一八日出願公告決定がされ、同年六月一七日出願公告がされた。しかし、新日本製鉄株式会社は、同年八月二六日特許異議の申立をし、同年一〇月一七日、本願第一発明について本件引用例を利用し、本願発明の特許請求の範囲<8>についても本件引用例を引用し、同<5>の発明に関しては本件引用例のほかに周知例を引用して特許異議を述べる特許異議申立理由補充書を提出した。これに対し、原告は、平成元年七月三一日、手続補正書及び特許異議答弁書を提出したが、審判部合議体は、新たに拒絶理由通知をしないまま、本願第一発明についてのみ検討を加え、本件引用例を引用して「本件審判請求は、成り立たない。」との審決をした。

<2> 審判手続の違法性

拒絶査定不服の審判において査定の理由と異なる拒絶理由が発見された場合には、特許法一五九条二項により同法五〇条の規定が準用され、審判官は、特許出願人に対し拒絶理由を通知し、相当の期間を定めて意見書を提出する機会を与えるべきである。

ところが、前記<1>のとおり、本願発明に係る審判手続において審判官は拒絶査定の理由と異なる拒絶理由を発見したにもかかわらず、同法五〇条の拒絶理由通知をしないまま、査定と異なる理由に基づいて本願発明に係る特許は拒絶すべきであるとの審決をしたから、本件審決には、同法一五九条二項、五〇条に反する手続違背があり、本件審決は取り消されるべきである。

この点について、被告は、特許異議の申立書副本が送達されれば、答弁書及び手続補正書の提出の機会が与えられるから、審判官は新たに拒絶理由の通知をしなくても違法ではないと主張し、そもそも拒絶理由の通知の目的は審査の公正を担保することにあつて、それ以上のものではないとも主張する。

しかし、特許出願人にとつて、単なる第三者の見解にすぎない特許異議の申立書副本の送達を受けることと、同法一五九条二項、五〇条が要求する拒絶理由通知とは全く別のものであり、前者がされたからといつて、拒絶理由通知が違法にされたこととはならないというべきである。すなわち、後者においては審判官が得た心証が示され、そのままでは拒絶査定を受けることが確実であるから、出願人は、その特定の拒絶理由を克服するように対応することができるのであり、同法一五九条二項、五〇条は手続上出願人に対しこのような対応を保障したものと解すべきである。また、出願人にとつて審判段階における拒絶理由通知は手続補正等の最後の機会であり、拒絶理由通知が保障されなければ、もはや手続補正等の機会が奪われることになる。しかも、被告の主張に従えば、同法一五九条二項の「拒絶査定の理由と異なる拒絶の理由を発見した場合」との明文、同法五〇条の「審査官は、拒絶をすべき旨の査定をしようとするときは、特許出願人に対し、拒絶の理由を通知し、相当の期間を指定して、意見書を提出する機会を与えなければならない。」との明文に反することになる。

さらに、被告は、審判手続において特許異議の申立がされ、その特許異議の申立理由に示された事由により拒絶すべき旨の審決をする場合には、同法一五九条二項の適用はなく、同条三項が適用されるべきであると主張するが、同条三項は審判の請求を理由があるとする場合に準用される条項であり、審判官が審判の請求を成り立たないと判断する場合に適用される規定でないことは、条文の文言上明らかであり、しかも、仮に上記の場合に同条三項が適用されるとしても、同条二項の適用が排除されるべき理由はなく、被告の主張は失当である。

(2) 取消事由二

本願発明は、昭和六二年改正前の特許法三八条但書によつて認められた複数の発明の併合出願の方法で出願されたものであり、特許庁は本来すべての発明について審査を行うべきであり、特許異議申立人である新日本製鉄株式会社の異議理由の中に、本願発明の特許請求の範囲<5>の発明については特許法二九条の二に基づく不特許事由が実質的に記載されておらず、審判官が本願発明の特許請求の範囲<5>ないし<7>の発明についてまで審査を行つていたならば、これらの発明には特許性があるとの判断に違したはずである。

ところで、特許庁の審査実務においては、複数の特許請求の範囲のうち他のものについては拒絶すべきであるが、一部について特許性が認められると判断される場合、出願人に対し手続補正を促すことがある。複数の発明の出願を認めた制度の趣旨からすると、審判官は各発明について審査を行い、その結果を出願人に知らせるべきである。

本件においては、審判官は、本来併合出願に係るすべての発明を審査し、特許が与えられるべき本願発明の特許請求の範囲<5>ないし<7>の発明について原告が審査の機会を奪われることのないように、裁量権を行使して原告に本願第一発明について拒絶理由通知をすべきであつたのに、原告に対し全く手続補正をするようにとの連絡をしないまま本件審決をし、その結果原告がこれらの発明について特許を受ける利益を失うという重大な結果を招いた。

このような事情の下においては、特許庁が拒絶理由通知をすることなく原告に対し拒絶査定不服の審判請求が成り立たないとの審決をしたのは、裁量権の濫用というべきであり、審決は取り消されるべきである。

第3  請求の原因の認否及び被告の主張

1  請求の原因一ないし三の事実は認める。

2(1) 同四の(1)のうち、<1>の事実は認めるが、その余の主張は争う。

特許法六四条には、特許異議の申立があつたときは明細書又は図面について補正することができると規定されており、特許出願人は、特許異議申立書の副本の送達を受けることにより、自己の特許出願に対する特許異議申立の存在を知ることができるとともに、答弁書及び手続補正書を提出する機会が与えられる。出願人に意見書提出の機会を与え、かつその意見をも検討した上で審査官に最終判断を行わせることにより審査の公正性を担保し、また出願人に願書添付の明細書又は図面について補正する機会を与えるという趣旨において、同法五〇条と同法五七条とは全く同趣旨である。したがつて、特許異議の申立がされ、特許異議申立書の副本が送達された場合、審判官は、新たに拒絶理由を通知することを必要としないと解すべきである。

更に付言すれば、そもそも拒絶理由の通知の目的は審査の公正を拒絶することにあつて、それ以上のものではなく、拒絶理由の通知と特許出願人自身が自らの責任で独立に行う明細書又は図面についての補正とは、直接に係わりのないものとして区別して考えるべきものである。このことは、拒絶理由の通知及び特許異議の申立は、当該特許出願についての拒絶理由を開示するだけであつて、願書に添付した明細書に関する補正内容を示すものでなく、したがつてそれらを承服するか反論するかは特許出願人自身の判断に委ねられていること、同法六四条一項の明文の上でも拒絶理由通知を受けたとき、又は特許異議の申立があつたときは願書添付の明細書又は図面について補正することができると定められ、五〇条の場合と五七条の場合とが同等に規定されていること、元来明細書(殊に特許請求の範囲)の内容を適正なものとするのは特許出願人自身の責任に属するもので、不十分な対応を審査官又は審判官の責任に転嫁するのは不当であること、同法一五三条一項、二項の反対解釈として、特許権設定登録の後特許の無効審判の請求がされて特許権者に対して特許無効審判請求書、理由補充書、弁駁書等の副本が送達され、特許を無効とすべき理由及び証拠が知らされ、かつ、答弁書提出の機会が与えられてその理由及び証拠と同じ理由及び証拠により特許を無効とする審決をするときは改めて理由及び証拠を通知して意見を申し立てる機会を与えることなしに特許無効審決をすることができると解されていることとの均衡を考慮する必要があることからも明らかである。

なお、審判手続において特許異議の申立がされ、その特許異議の申立理由に示された事由により拒絶すべき旨の審決をする場合には、同法一五九条二項の適用はなく、同条三項が適用されるべきである。

本件審判手続においては、特許異議申立人の異議申立書副本が原告に送達されているから、原告主張のような手続違背はないといわなければならない。

(2) 同四の(2)の主張は争う。

昭和六二年改正前の特許法三八条但書により二つ以上の発明がいわゆる併合出願されてもその法的性質は一個の特許出願中に二つ以上の発明が包含されているというに過ぎず、一つの発明に拒絶理由があるときは、審査官、審判官は、特許法四九条により、併合出願の全部について拒絶すべきものである。特許出願に係る二つ以上の発明のうち一つの発明で特許性の認められる発明がそのままでは特許を受ける可能性がないとしても、そのような特許出願の仕方は、特許出願人が納得の上で選んだ道であり、また、分割出願をするか、特許性のない発明を補正により除去するかも、特許出願人自身の判断に委ねられているのである。本件においては、原告は、特許異議申立書等の副本が送達され、答弁の機会及び明細書を補正する機会が十分与えられておりながら、原告は自ら対応をしなかつた結果、特許異議申立書等の副本に記載された異議理由と同じ事由により本願を拒絶すべきものであつたから、審判官に裁量権濫用があつたとの謂れはない。なお、原告は他の事件に関して実務の運用を云々するが、事情を異にしており、本件の審決の当否とは係わりがない。

第4  証拠関係《略》

【理 由】

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の特許請求の範囲)及び同3(審決の理由の要点)の各事実は、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の審決の取消事由1について判断する。

請求の原因4(1)<1>の事実は、当事者間に争いがない。

上記争いがない事実によれば、審査官により拒絶理由として通知されなかつた本件引用例が審判官によつても本願発明に係る拒絶理由として原告に対し通知されることのないまま、本願第一発明が本件引用例記載の発明と同一であることを理由として本願発明は特許を受けることができないとの本件審決がされたことが明らかである。

しかしながら、《証拠略》に上記の争いがない事実を総合すれば、新日本製鉄株式会社は、本件審判請求後にされた出願公告に対し、本願発明について特許異議を申し立て、特許異議申立理由補充書を提出して、本願発明の特許請求の範囲<1>、<5>、<8>に記載された各発明(以下においては本願発明のうちこれらの各発明のみを称して「本願各発明」という。)と本件引用例に記載された発明とが同一であることを理由に本願発明が拒絶されるべきであるとの主張をし、本件引用例の写し等を提出したこと、原告は、同社による特許異議申立書及び特許異議申立理由補充書の副本と本件引用例の写し等の送達を受けて、本願各発明と本件引用例記載の発明との同一性が問題とされ、審判においてこれらの発明が同一であるとの理由により特許出願を拒絶されることがありうることを慮り、本願各発明の特許請求の範囲に限定を加える減縮をするなどの補正書を提出する一方で、本願各発明と本件引用例に記載された発明とが同一でないことを主張する特許異議答弁書を提出したことが認められる。

ところで、特許法一五九条二項により同法五〇条が準用される趣旨は、拒絶査定不服の審判が請求された場合において査定の理由と異なる拒絶理由が発見されたときに直ちに新たな理由による特許出願の拒絶を許容することは、特許出願人にその理由についてなんらの弁明の機会を与えないことに帰し、特許出願人に酷であるとともに、審判官も過誤を犯すおそれがないわけでもないから、このようなときにはまず特許出願人に意見書を提出して意見を述べる機会を与える一方で、同法一五九条二項により準用される同法六四条にしたがい願書に添附した明細書又は図面を補正する機会を与え、また同時に特許出願人から提出された意見書を資料として審判官に再度の考案をするきつかけを与えて審判の公正を担保しようとすることにあると解される。本件のように、拒絶査定不服審判の請求の後に特許異議が申し立てられ審判官が特許異議申立書又はそれに準ずる書面に記載された事由により出願された特許を拒絶すべきものと判断した場合においてその事由が従前審査官により拒絶理由として通知されていないときであつても、同法一五九条三項により準用される同法五七条にしたがいこれらの書面の副本が特許出願人に送達されている限りは、特許出願人は意見書を提出して意見を述べ、願書添附の明細書又は図面を補正することもできる結果、特許出願人に酷な事態もないし、審判の公正も担保されているといつてよいのであるから、審判官は、もはや特許出願人に対し重ねて拒絶理由を通知する必要性はないと解するのが相当である。

これに対し、原告は、特許出願人にとつて、単に第三者の見解にすぎない特許異議の申立書副本の送達と審判官からの拒絶理由通知とは全く別のものであり、特許出願人にとつて審判段階における拒絶理由通知は手続補正等の最後の機会であり、この拒絶理由通知が保障されなければ、手続補正の機会が奪われることになると主張する。しかしながら、前述のとおり、特許出願人は、審判段階においても特許異議の申立があつたときは、意見書を提出し、また願書添附の明細書又は図面を補正することができるのであるから、特許異議の申立書副本の送達と拒絶理由通知とを異質のものということはできないし、拒絶理由通知がされないからといつて手続補正の機会が奪われるものでもないから、原告の主張は失当というほかはない。

そうすると、本件において審判官が本件引用例を拒絶理由として通知しなかつたことは違法でないから、取消事由一の主張は失当というべきである。

3  次いで、原告主張の審決取消事由2について検討する。

前記認定事実に弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、本願発明を昭和六二年法律第二五号による改正前(以下単に「改正前」という。)の特許法三八条但書によるいわゆる併合出願(以下単に「併合出願」という。)の方法で出願したこと、原告は、本件審判申立後新日本製鉄株式会社から特許異議の申立を受け、同社による特許異議申立書及び特許異議申立理由補充書の副本と本件引用例の写し等の送達を受けて、本願発明のうち本願各発明と本件引用例記載の発明との同一性が問題とされ、本願発明が審判においてこの理由により特許を拒絶される事態がありうることを慮つて、本願各発明の特許請求の範囲を減縮する補正書を提出するとともに本願各発明と本件引用例に記載された発明とが同一でないことを主張する特許異議答弁書を提出したこと、審判官は、本願各発明のうち本願第一発明について同社提出の特許異議申立理由補充書記載の事由により拒絶すべきであるとの判断の下に新たに拒絶理由を通知しないまま本願発明を拒絶する審判をしたことが認められる。

ところで、特許出願人は、複数の発明については当然別々に複数の特許出願をすることができるところ、改正前の特許法三八条但書による併合出願は、複数の発明についても一定の要件のある限り、一個の特許出願をする道を選ぶことを許し、出願の際の手数、費用等を省くことを許容するものであるが、一旦併合出願の方法が選択されたときは、そのうちたとえ一つの発明についてでも特許を拒絶すべき事由があるときは、その余の発明について拒絶すべき事由があるか否かにかかわらず、同法四九条により出願の全体について拒絶査定を免れないものである。

本件においては、原告は、自ら敢えて併合出願の方法を選択したうえ、特許異議申立人の提出した書面、本件引用例の写し等の送達を受け、本願各発明に係る特許異議申立人の主張に対応して補正をするとともに意見書を提出したことが認められる。そして、前記のとおり、本件において審判官が原告に本件引用例を拒絶理由として通知しなかつたことに違法性は認められない。

そうすると、特許庁がそのまま原告に対して拒絶査定不服の審判請求が成り立たないとの審決をしたことが裁量権の濫用にわたるとの謂れはないというべきである。

原告は、審判官が本願発明の特許請求の範囲<5>ないし<7>の発明についてまで審査を行つていたならば、これらの発明に特許性があるとの判断に達したはずであり、特許庁の審査実務においては、複数の特許請求の範囲のうち一部のものについて特許性が認められるときは、出願人に手続補正を促すことがあることを裁量権の濫用の根拠として主張する。しかし、本件全証拠によつてもこれらの主張に係る事実を認めるには足りない。のみならず、たとえこれらの事実が認められたとしても、本件では前記のとおり、原告は、特許異議申立人から本件引用例が提出されたことに対して補正と意見書提出の機会を与えられたにとどまらず、現実に本件引用例の提出に対応して補正をし、かつ意見書提出をしているのであるから、特許庁の措置について裁量権の濫用を論ずることは失当というほかはない。

4  よつて、審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、一五八条二項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹田 稔 裁判官 成田喜達 裁判官 佐藤修市)

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